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日別アーカイブ: 2011年9月26日

フラッチャニの夕べ


プラハの路面電車の道を歩いていくと国民劇場の前へたどり着いた。ヴルタヴァ川(モルダウ川)を目の前に、奥に見えるお城、ああプラハへ来たんだ、と思えた瞬間である。

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お城へ繋がるカレル橋も川沿いから見えてきた。

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カレル橋の手前の道、こちらは自動車と路面電車(運休中)専用であるが、いかにもヨーロッパである。

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投稿者: : 2011年9月26日 投稿先 旅日記

 

美瑛富良野写真館2011夏その084


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投稿者: : 2011年9月26日 投稿先 美瑛富良野写真館

 

生死を分ける水


(アメブロ「しまやん香港アジア支局・過去帳」でも同じ記事を公開しています。)

先週の木曜日、関西出張の帰り、神戸の御影へ立ち寄った。

阪神御影駅から歩いて5分ほどにあるこの学校。16年前の1995年、阪神淡路大震災の時に震災ボランティアとして活動した御影中学校である。

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あれは2月、ちょうど震災から1ヶ月の時であった。物資は充実していたが何よりも精神的に一番厳しい時期であった。あの時の経験は忘れられない。

御影は大きく変わってしまった。学校は耐震工事の真っ最中、道路向かい側にあった工業高校(元サッカー日本代表でスポーツキャスターの永島さんの母校)は無くなり、超高層のマンションと阪急阪神グループの商業施設ができてしまった。

しかし変わらないものもあった。阪神高架下にある商店街、そして駅前にあったこの井戸である。

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ここは灘の酒どころ。この水を使って灘の酒を作っている。震災時はこの水をバケツリレーで中学校へ運びお風呂の水として活用した。この井戸は枯れなかった。つまり命を助けた水なのである。残念ながら震災後は飲用として使えなくなったが、象徴的な水である。

 

そして土曜日、私は宮城県の南三陸町へ行くこととした。

4年前、海外赴任を控え、研修のため協力工場があった南三陸町の志津川へ1週間出張した。試作とは言えども工場の経験は勉強になり、中国赴任後に大きく役立った。そして赴任から1年後、志津川にあった試作ライン業務を引き受け、志津川の工場を閉鎖した。

静かな漁港、おいしい魚、仕事じゃなくても一度はゆっくり行ってみたいものだ。帰任したらその時に、と思っていた。

しかし3月11日のあの時が、そして翌日朝のNHKでの南三陸町の空撮が、全てを消してしまった。

 

震災に対しての援助はいろいろあるが、私としては「現地で金を落とすこと」が一番なのでは、と思っている。国の税金も、寄付金でさえも被災者へ行き届いていないという馬鹿馬鹿しい時代である。だからといって16年前のようにボランティアをすることは、学生時代と違い時間の問題があって社会人では無理がある。そうするとこの方法が私には理想の選択肢となる。しかしなかなかうまくはいかないものだ。5月に山形・仙台・福島を訪れたが日帰りでは限度があった。JR東日本を儲けさせた(実際はそのお金で不通となっている路線の復旧をやってほしいが)だけで420円のずんだもちを食べた仙台、300円の温泉しか入っていない福島には申し訳なかった。

震災から半年経ち、南三陸町へ行く可能性を探っていた。そんな中で南三陸町にあるホテルが避難民の仮設住宅への移動完了で、一般の客の予約を開始したとの情報を得た。予約の電話をかけてみたところ部屋が空いていたので早速予約。これは本当の第一歩である。欲張ってはいけない。どこまで観光できるのか、まずはそこからである。

 

仙台からレンタカーを借り、まずは石巻へ。途中は特に地震の影響が見えなかったが、石巻の市内に入ってから壊れた建物、使えない信号、まだ影響があるんだ、と思い始めたところで日和山公園へたどり着いた。

桜の名所であり、見下ろす海や街はすばらしかったのだろうが、震災がごみの山と建物が流された空き地へ変えてしまった。

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残念ながらその他の観光地はまだ見られる状況ではなかった。

そして次が女川町。港から写真を撮るが、明らかに海面が低く、この場所は大きく地盤沈下したことがわかる。

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ここも津波で街が流された。驚いたのは津波で倒れたビルである。横倒しである。根元から抜けて倒れている。これが今回の津波の威力なのであろう。

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女川から海沿いの国道で南三陸へ向かおうとしたが、通行止めだったため、石巻へ戻った。石巻からも国道が通行止めで三陸自動車道経由である。

宿泊したホテルは被害はあったようだが、高台にあったので難は免れた。今でも震災ボランティアや警察(全国のパトカーが駐車場に集結している)がたくさんこのホテルに泊まっている。宿泊にあたって問題はまったくない。温泉もあって十分楽しめる。

翌朝、被災地にも朝日と共にやってくる、ホテルのベランダから立派な日の出とカモメである。

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ホテルを後にし、南三陸町志津川へ入る。呆然とするしかない、とにかく何もかもが流されてしまった。それしかないのだ。

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街の中心部には住むところがない、生活臭が全く無いのだ。駅もご覧の通り、駅舎も流れ、駅前からの街の姿はこのようになってしまった。

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お世話になった試作工場の場所はすぐ分かったが、今は被災した車の廃車置場になってしまっていた。入り口のステップが残っていたのが思い出される。

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志津川地区はかなり高い津波がやってきたと思われる。3階建ての建物がやられてしまってる。3階以上の漁船や車が上がってしまっているからだ。

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これでは壊滅と思われるが、町は高台で機能している。役場・警察なども高台の商工団地で仮設業務している。コンビニはプレハブ建てながら営業している。つまり海側は壊滅だが、高台で生活は機能しているようである。

気仙沼へ向かう国道45号線。時々このような看板を見ては壊滅した集落を抜けていく、そんな風景が続くのである。

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気仙沼は最初そんなに被害がないのかな、と思わす街並だったが、港近くになって一変、港は大きく崩れ、観光名所である魚市場は機能していない、周りも津波の時の潮を被ったままである。

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南三陸、気仙沼は観光まで出来る状況ではなかったが、ホテルといい食事といい、そういうところは大丈夫なので訪れる価値はあると思う。

ということで、今回の感想をいうならば、再訪したかった目的を全てはできないにしても、まずは足を踏み込むことができた、これが第一歩になったことをまずは喜ばなければならないであろう。次に行ったときにもっとこれ以上楽しめるかどうか、それがおそらく復興の進捗を示すバロメータとなるのであろう。

しかし、被害の姿は計り知れない、神戸の時の比較ではすまない被害である。10年レベルくらいで注視していかなければならない、そんな感じがしてならない。

 

今回、御影から灘の酒を持ってきて供えさせてもらった。神戸では命の水になった、しかしこちらでは水が命を奪っていった、ちょっと複雑ではあるが、酒が好きな人には、まあ喜んでもらえることであろう、としておく。

最後に、御影中学校で部活に励んでいた中学生、彼らはもう阪神淡路大震災を知らない世代になってしまった。

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投稿者: : 2011年9月26日 投稿先 未分類

 
 
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